追想・岡本顕一郎(4)

あー… もうすぐ出棺の時間だ。合掌する。岡本くんありがとう。

Hagex-day.info は 風刺画ではないか

書くことを続けていれば、技術的にはいつか様(さま)になるものである。
だがやはり岡本さんは、書くことよりも「見る技術」「読む技術」が卓越した人だと僕は思っている。Hagex-day.info は、その象徴であると断言する。
僕の主観をこの章では述べる。

岡本さんは編集者として技術を磨いたこともあって、本文に手を付けず「見出し」や「リード(概要文)」で、読者にきづきを与える能力に秀でている。
亡くなったからもう言っていいのだろうが、Hagex-day.info は見出し・小見出し・リードを使いこなすことで 引用コンテンツの本質を表出させることを目標としている。
逆に言えば、岡本さんは 筋道を立てて説明することは(プロとしては)苦手だし、また、そんなことを毎日やってたら疲労する。本業を持って片手間でやるには、言葉での批判・批評はコストが高すぎるのである。

Hagex-day.info が、元のコンテンツを批判や揶揄しているという意見がある。そう見えるのはわかるし、もちろんそうだろう。
では、それは間違った批判や揶揄・つまり失当だといえるのか。
本文を変えてないのに、見出しやリードだけで果たして、完全に「失当」たりえることなんて そうそうあるのだろうか。
むしろ当たっているだけに(本当のことだけに)関係者を怒らせるのだと思うし、その関係者もまた怒る自由があって、反論する自由があって、だけどそれは最初にその関係者自身が文字でこの世に意見を問うた結果なのだから、そこで生じる格闘技に第三者がやめろ・はじめるなということじゃないと思うのだ。

彼が一度でも 対象人物たちを黙らせようとしたことがあっただろうか。誰かを罵倒で緘黙させようとしたことがあっただろうか。彼は「それによって書く気になってもらうために、Hagex-day.infoに載せている」とすら僕には思える。彼はここでも編集者だったと思うのだ。

もちろん 中にはズレた見出しやリードもあるだろう。けれども岡本さんは一貫して個人の主張らしき主張は、このブログでは めったにしていないように僕には見える。
むしろ僕には、岡本さんが マッド・アマノのような、コラージュによる風刺家に見える。
そしてHagex-day.info は風刺画のように見える。
たのしみかたは それぞれだが、物書きだからか、僕にはそのように見えている。