追想・岡本顕一郎(1)

2018年6月24日夜、福岡市中央区大名の「福岡グロースネクスト」(元は校舎)で岡本顕一郎さん(41)が亡くなった。

友人がこの世を去ったことについて、未だ僕は受け止めてきれていない。

「胸は痛い」のに「悲しくならない」のである。

おそらく 僕は「悲哀の六段階」のうち、ショック の次、否定 のステージをうろうろしているのだろう。
つまり この後、怒り、抑うつがやってくると思うから、それまでに、できるだけ自分を冷静にさせる情報に接しておきたい。

にもかかわらず、この事件について、社会では ただの推測を あたかも事実のように述べる記事・言説があまりに多く、学術的な考察・あるいはそれに耐え得る資料が少なすぎることに、僕はうんざりした。
いや考えてみれば、17年間・彼と仕事をしていたのだから、社会の側が持っている情報量が、自分たちより少ないのは当然なのだ。そこに期待するのが誤りなのだ。

犯罪被害者側の気持ちとは、こういうことなのかと、あらためて認識した。
自分たちが一次資料になったのだ。
ならば、怒りが来る前に、一次資料として自身を文字変換しておこうと思う。

ここで述べることは、僕や 僕の両親・妻から見た「岡本さん」なので、N=1~4ぐらいのものである。書いてみたものの、やっぱりちがうな、と思ったり、家族から そうは思わなかったという意見が出たら随時、加筆・修正することがある。人の記憶・心象を一次資料化するわけだから、そういう不安定さ・ふぞろいさが生じることを織り込んで読んでいただきたい。

なお故人が それを言われると恥ずかしいと思うであろうことや、ご遺族が語ってほしくないと思うであろうことは、仮に公知された事実であったとしても触れない。

あと、なぜここに書くかというと、僕がいま書いてるブログがここだけだったからである。